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「炭焼きは地球を救う―炭と沃土と環境」炭焼の会の現位置と目指すところ  昨年(2019)はじめに、さいたま市のさぎ山の林地に炭窯を設置した機会に、緑区寺山に支部を設け、地域の方々と「炭焼の会」を結成しました。何度かの焼成を重ね、炭焼きの意義について意見交換が始まりました。炭の需用を考えてみますと、  ①鰻屋やお点前の燃料をはじめ、  ②近年注目されている空気や水の浄化、床下湿気止等の環境素材。  ③燃焼と農耕による二酸化炭素と酸素の互換(カーボン・ニュートラル*1)により、  ④バイオ炭は固定炭素を大地に戻せます(バイオチャー*2)。そして保湿能力が高い。  私たちは特に③と④に注目し、炭焼きや野焼きは地球上の炭素を整える循環保全の要と捉えました。そして、さまざまな人たちとの連携が始まる中で、農家から堆肥のつくり方を学び、これに炭(燻炭)を加えた沃土をこしらえれば、化学肥料や農薬を使わない有機農が取り戻せることを教わりました。  沃土とは良く耕された耕作土のことです。酸性化した土壌にアルカリ性の粉炭や灰を混入し中和させると微生物が活性化します。堆肥は微生物の働きで分解され腐植化しミネラルに還元されます。ミネラルは粘土や腐植にイオン吸着して団粒構造をとり、黒く豊かな土に育みます。沃土に育つ作物は活発に光合成し、二酸化炭素を吸収して酸素を放出します。一方で、焼いた炭が大地に戻され固定炭素となれば、都市が排出し続けている二酸化 炭素を幾分かでも抑え、化石燃料の消費を減らせると解せます。つまり化石燃料の掘削と消費を取り止め、樹木を育てて炭を焼き、堆肥に炭を加えた沃土で有機農を行い続ければ、炭素循環が正常化でき地球を救えるのです。  古より堆肥づくりは農の基本であり、炭は生活に欠かせないものでした。近代以前は当たり前であった農法や沃土づくりが、今日では未来の地球を守る環境保全への挑戦となろうとは。もしかしたら、私たちが歩んだ増殖する欲望の文明は、本末転倒していたかもしれません。また最近、地表に堆積する黒い土が、縄文以来の人たちにより手を入れ続けられてでき上がった土ではないかと、注目を浴びはじめてもいます。  考古学での発掘調査では素焼の土器はともかく、軟らかい住居跡や水田跡、水路などの土坑をも、ものの見事に掘り当てます。以前より不思議に思い、知り合いの考古学者に尋ねたことがありました。答えは至って単純で、土の色が違うからだというものでした。 ところで近年、にわかに考古学においても土についての考察が始まり、もっぱら「黒ボク土」の正体についてではありますが土壌学や農学、地質学等の方々との意見交換が始められました。因に「黒ボク土」の命名は、乾いた黒い土に触る(握る)とボクボクとする感触があることから、極めて感覚的で曖昧な定義です。  幾つかの論文に目を通して驚いたのは、学域の違いか、学者の個人的認識の相違なのか、同じ「黒ボク土」に対する見解がまったく違うのです。極論を紹介すれば、ある土壌学者は湿地帯に植生する茅や葦が枯れて腐らずに炭化し堆積した泥炭として説明します。火山学者のひとりは、富士山の寛永大噴火を例に、江戸にも10㎝ほど降り積もった玄武岩質の黒い火山性堆積物であるスコリアを示されていました。  説得力がある説明では、寒冷期(新生代第四紀更新世)に火山砕屑物が堆積しローム層の台地ができた上に、温暖期(新生代第四紀完新世)になっても降り注ぐ火山砕屑物や二次堆積物が腐植と混ざり合わさって黒土(黒ボク)となったとするものでした*3。また、考古学者の小林達雄は『土壌学と考古学』のなかでの論考「遺跡における黒色土について」で、基層を成す褐色のローム層と、その上に形成された表土にあたる黒土層中に、縄文、弥生、古墳の各時代の竪穴住居が埋没しており、気候変動による植生の発達に加え、人為の作用を指摘しています*4。そこで、日本列島における黒ボク土の分布をみると、南九州と阿蘇、山陰から北陸、甲信と関東全域から東北南部、東北地方北部、北海道中央部から南東域にかけて多く、丘陵地から台地状の平地、火山山麓に形成されています。その多くは森林や耕作地として利用され、全国の畑地面積の半分は黒ボク土に求められています。黒ボク土は、更新世に火山砕屑物や二次堆積したローム層の基盤の上に、完新世に入った一万数千年前よりの長期に渡り植物が繁茂して腐植をつくり、さらに降り積もる堆積土と腐植が混成した栄養価の高い黒い表層土として今も成長を続けています。切り通しや掘削工事の現場でも、ローム層の上に形成された黒い土が窺えます。  火山山麓に拡がる黒ボク土は放置すると、栄養価が高いにも関わらず耕作土としては不向きなアンドソル("A n d o s o l s ")が形成されます。これはアルミニウムがリンと強く結合する性質から、腐植がアルミニウムに取り込まれて離さず、作物にリン酸欠乏を起こさせてしまうと考えられます。気候の温暖化で植生が豊かになるに伴い腐植がすすみ、黒ボク土が形成されるが、腐植化がすすむ過程で酸性化もすすみ、微生物の分解の役割が終わります。火山山麓に拡がる黒ボク土には、対策として苦土石灰を施して中和し耕作されています。ところが、台地状の平地に形成された黒ボク土の多くは、豊かな植生に囲まれた耕作土として活用が続けられてきました。  これは狩猟採集しながら生活の枠を拡げていった縄文人たちが、しばしば野焼きして露地をつくって居住し、炭を焼いて土器の焼成まで行い、焼畑を起こして食糧を得るために生活環境を整えていったと考えれば合理的に解せます。つまり、沃土化された黒ボク土は、アルカリ性の炭や灰で土壌の酸性化が抑えられ、作物に必要なリンをアルミニウムから取出せ、農耕に適応した沃土を育むことができたと考えられるのです。したがって、栄養価の高い黒ボク土を耕作に適した沃土に保つには、微生物の住環境を整える必要があったのです。  沃土とは、自然の作用による火山砕屑物や二次堆積物と腐植の蓄積である黒ボク土に人の手が加わり、積年の努力で里山を形成した土壌であると言えます。一万数千年の時を要したということになるのです。また、この解釈の有利な点は、先に述べた考古学発掘の際の土の色の変化を見分ける根拠でもあり、古人の生活を識る手掛かりにもなっています。 炭焼きでは、炭材は主に公園や屋敷林の伐採材や剪定で出た枝材などの残渣を使い、あるいは燻炭には今日使用価値が低下し農業残渣として取り扱われている稲籾を使っています。何れも残渣の有効利用とともに、翌年の枝葉が伸び、毎年水耕が行われることを前提にしており、循環再生することを見込んで炭に焼いています。  焼いた炭の利用、社会的還元法として、先に述べたように①~④を上げていますが、特に  ③燃焼と農耕による二酸化炭素と酸素の互換(カーボン・ニュートラル*1)と、  ④バイオ炭は固定炭素を大地に戻す(バイオチャー*2) の、この2つが地球の環境回復に最も積極的に貢献できる利用法であると考えられます。 そこで、焼いた炭や燻炭が土壌保全や耕作との関係について、論理と実践の一致を確かめたく、実際に使用す試みが今年度の課題となります。ひとつは有機農を志す地域の方達に実際に使っていただき、意見を聴取すること。さらに、我々自身が畑での耕作に挑戦し、堆肥と炭の働きと土壌改良の効果・効用等、体験的に確認することで、炭焼きと環境保全を考えようと行動をとることになりました。本年(2019)より、炭焼の会の仲間を中 心に小さな畑を借りての実験農園が始まります*6。  ここで初心にブレを生じないための確認をしておきます。我々の炭焼の会が③カーボン・ニュートラルの論理の主張を持ち出せるのは、アジアモンスーン地帯のような気候に恵まれ国土にあり、豊かな植生の保持された環境の囲まれていることが前提条件となります。今日、注目されるようになった縄文由来の黒ボク土の沃土化や堆肥による有機農の復活によって、④バイオチャーが成り立つと考えます。しかるに、我々が炭を焼き、燻炭を焼いて炭素の循環再生を説き、有機農をすすめることで地球環境の保全に向え、社会貢献を目論めると自負できるのは、そもそもの豊かな自然環境に恵まれているから可能であることを忘れてはならないのです。その上で、循環再生する持続可能な地球環境の保持の展望が見え、ささやかながらその努力がなされているのです。 (吉田富久一) *1 1997 年.気候変動枠組条約第三回締約国会議において京都議定書が調印される際に、農や森林管理で緑地が育成される限にカー ボン・ニュートラルであり、二酸化炭素放出には当たらないと確認がとれました。 *2 2017 年.気候変動枠組条約第二十一回締約国会議のパリ会議において、有機農が行われることで、自動的に大地に炭素を戻せ る(固定化できる)バイオチャーが注目されはじめています。 *3 「長野県中部地方高地,広原湿原周辺域に分布する 黒ボク土層の意味」 佐藤隆、細野衛 『資源環境と人類』 2018 年3 月 *4 1987 年.白友社 *5 2019 年1 月26 日、SUファーム(さいたま市岩槻区大字笹久保)設立総会が開催され、会員の確認と年間計画が決められた。

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