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縄文思考と未来

人工=アーティArtificialフィシャルは、自然のサイクルのなかで人間が創造性を共有し、生み出していくこと。

NOW-農はアートだ!

野良の藝術2024 さいたま市見沼・さぎ山での活動について 【趣旨・目的】 奇跡的にも、住民と行政の努力により見沼は開発の手から免がれ、「見沼三原則」 ※1の概念が生まれた。標語が消された今でも、精神は心の支えである。我々はこの地に降り立ち、「農」と「アート」の根源は創造性で繋がるとして、アート展「野良の藝術」を開催。炭窯を設置、土を起こし造形し、丸太の作品を焼いて炭や灰にする。燻炭焼きの煙を見上げ、考えた。里山農の究極は沃土づくり。炭や灰を田畑に伏せると土壌菌が活性化し、化学肥料や農薬に頼らずも、作物はよく育つ。「里山農」は生物多様性を活かした先人たちが培ってきた農法であり、基本的な生き方、在り方でした。また芸術も根源的な私たちの生き方、在り方を感受するもので「農」と「芸術」の根源は繋がっております。循環再生の一役を担い、おまけにバイオ炭として炭素固定まで果たす。縄文から今日まで続く里山の営みをアートと捉えて地域へと紡ぎ、子孫への贈り物にしよう。 ※1 見沼三原則 : 1965年埼玉県により、見沼田圃は全面的に保護され、農地の転換を規制、宅地開発を規制する条例「見沼田圃農地転用方針(見沼三原則)」を設けた。後年(1995)「見沼田圃の保全・創造・活用の基本方針」が制定され、「見沼三原則」の文言が消され、公園などへの転用は許可されるなど土地利用の規制は緩み、緑地保全に変化していった。  【経緯】 社会芸術では2016年の「TANBOプロジェクト」において「農とアート」をテーマとしてより、見沼・さぎ山地区での活動を開始する。2017年の「野良の藝術」においては炭窯を制作。社会芸術・支部である「炭焼の会」を発足し、炭焼き、燻炭焼きなど継続した活動を行い、炭焼きと農、および環境に果たすアートの役割を探求してきた。 それに加え、2023年11月より「野良の藝術2024」開催の準備段階として農地を確保し、実践的な連続ワークショップを月一回で開催。地域市民へも呼びかけ、ささやかながらコミュニティーを形成し、地域への浸透をはかっている。 月一回開催するワークショップの内容は 里山農の作業体験を基本に、炭焼きや籾殻燻炭焼きはもちろんのこと、堆肥・腐葉土づくり、麦栽培や野菜の植え付け、火鉢・竃の制作などを行い、その成果を秋のイベント「野良の藝術2024」にて展開。食のワークショップや展示、併せて、参加作家たちの大型造形作品やパフォーマンス等が、現場展として発表される。また、浦和駅近くの延命寺では、野良にまつわるシンポジウムを行い、市街地の市民との交流を図る。

【藝術の根源は農にある】 2016年 TANBOプロジェクト  「藝術」の意味が、今日の有機栽培の基礎となる縄文の農耕に辿られ、創造性の意が込められる。だが、この語が日本に資本主義をはじめて導入した明治政府による造語であるとは皮肉である。  高度に発達した資本主義の経済システムでは、貨幣がデジタルに置き換えられて、尚も利益の追求が続けられる。食糧増産によって世界人口を増しながら、都市が耕作地を食い潰す矛盾を孕み、地表は人類史上希有な過飽和状態に陥っていく。このまま行くと、かつての古代文明と同様に窒息し、自滅の途を辿るのかもしれない。  ところが、日本では資本主義の到達点を過ぎて少子高齢化が進み、100年後の人口は3分の1に激減が見込まれる。これを文明・国家の崩落と捉えるか否か。自滅の回避には現況を乗り越え、未来に向けた新しい社会システムの構築が急務となる。この機に根本基準を改めては如何だろうか。  我々は藝術を農に帰結させ、創造性に富んだ生活を回復するために、沃土のつくり方に注目して循環再生の自然の理に基準を置く。見失った目的と進路を修正すべきと考えるからだ。「“野良の藝術” 里山の現場」では、その目的を獲得する手掛かりとして、メタセコイアに挑んだ。この度はその報告である。  化石樹とされていたメタセコイアは70年前に生木として中国で発見されて以来、世界中より注目を浴び、苗木が植樹された。さいたま市内にも見沼に並木道があり、見沼自然公園、さぎ山記念公園の他、別所沼や北浦和公園にも植えられている。こと、野田地区には苗木農家が密集する故、メタセコイアを取り扱った業者も多くあったが、公園開発が下火になると需要を失くし、苗木のまま畑に放置された。成長が早いが故に年輪が粗く、乾燥すると軽いので建築材には不向きとされ、他に利用価値が期待されずに独活(うど)の大木と化した。        ファーム・インさぎ山には樵(きこり)が居り、伐採した樹木が方々から集められ横たわる。その一方で農園主からは「農作物に無駄になるところはない」と名言が発せられ、有機栽培における循環再生の理が語られる。  我々は使途の定まらない材として伐採されたメタセコイアの丸太の山を譲り受け、農の立場に見習い藝術の創造性に働きかけることで、これを将来に向け役に立つ藝術の復権に期待した。「“野良の藝術” さぎ山の現場2017」に参加された各々の作家の提案が、かたちに現れていることを願う 【概念】  我々は芸術が何よりも創造性を発揮することで、世の中に役に立つこと(本来芸術が持ち合わせており、近代化により忘れ去られていた「働きかけ」の回復)が次世代へ引き継がれることをもとめる。 創造性は個人に占有されることなく共有されることが望ましく、オリジナルよりもアイデンティティーがより重要である。つまり、でき上がった形よりも行為や過程において相互にスキルを補填し合うことで創造性はより高められると考える。このことから縄文の古より培われてきた文化が、まだ我々のDNAに残されているように思えてくる。したがって、創造性の共有を如何にかたちにつくり出すかが、この度の課題である。 これまでの活動として可動式仮設店舗でのコラボレーション、自力更生車を引いての大道ワークショップ、ゲルを設置しての世界小屋会議といった「もの」から「こと」と「ひと」の結び付けを試みてきた。直近の活動では炭窯を設け、様々な物質の炭化を試み、炭焼きから野焼きでの燻炭や土器焼き、実証考古学的な創作土器を焼きはじめ、実際に使用する。 また、炭火でのアルミ鋳造等も試みてきた。さらにこの先の道標として土壌や菌の働きや農に興味をそそられていたが故に、農事体験のない我々芸術家集団にとっては、見沼ファーム21を中心にした「ふなの保存会」との恊働で、新たな展開に期待が寄せられる。(参考資料:社会芸術Vol.1, Vol.2, Vol.3) 祭り当日には、ゲルの壁面を覆い、中では土器火鉢を囲んで環境を考える世界小屋会議を行う。ふなの設置された田圃では、土器煙突20~30本を配置して籾殻燻炭焼きが行われる。煙はエアワーク(気体の彫刻)であり、焼かれた燻炭は土壌の豊饒化に有効な素材である。燻炭焼の熱を使った食のワークショップを行うことで、収穫の分配をはかり、創造性の共有によりその“かたち”を炙り出す。 社会芸術/ユニット・ウルス 吉田 富久一

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​野良の藝術 出版/埼玉新聞
​⬇️過去の出版物/PDFファイルでご覧いただけます
​本HP 英語サイトより
ご覧いただけます
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