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縄文思考と未来

人工=アーティArtificialフィシャルは、自然のサイクルのなかで人間が創造性を共有し、生み出していくこと。

NOW-農はアートだ!

【藝術の根源は農にある】  「藝術」の意味が、今日の有機栽培の基礎となる縄文の農耕に辿られ、創造性の意が込められる。だが、この語が日本に資本主義をはじめて導入した明治政府による造語であるとは皮肉である。  高度に発達した資本主義の経済システムでは、貨幣がデジタルに置き換えられて、尚も利益の追求が続けられる。食糧増産によって世界人口を増しながら、都市が耕作地を食い潰す矛盾を孕み、地表は人類史上希有な過飽和状態に陥っていく。このまま行くと、かつての古代文明と同様に窒息し、自滅の途を辿るのかもしれない。  ところが、日本では資本主義の到達点を過ぎて少子高齢化が進み、100年後の人口は3分の1に激減が見込まれる。これを文明・国家の崩落と捉えるか否か。自滅の回避には現況を乗り越え、未来に向けた新しい社会システムの構築が急務となる。この機に根本基準を改めては如何だろうか。  我々は藝術を農に帰結させ、創造性に富んだ生活を回復するために、沃土のつくり方に注目して循環再生の自然の理に基準を置く。見失った目的と進路を修正すべきと考えるからだ。「“野良の藝術” 里山の現場」では、その目的を獲得する手掛かりとして、メタセコイアに挑んだ。この度はその報告である。  化石樹とされていたメタセコイアは70年前に生木として中国で発見されて以来、世界中より注目を浴び、苗木が植樹された。さいたま市内にも見沼に並木道があり、見沼自然公園、さぎ山記念公園の他、別所沼や北浦和公園にも植えられている。こと、野田地区には苗木農家が密集する故、メタセコイアを取り扱った業者も多くあったが、公園開発が下火になると需要を失くし、苗木のまま畑に放置された。成長が早いが故に年輪が粗く、乾燥すると軽いので建築材には不向きとされ、他に利用価値が期待されずに独活(うど)の大木と化した。        ファーム・インさぎ山には樵(きこり)が居り、伐採した樹木が方々から集められ横たわる。その一方で農園主からは「農作物に無駄になるところはない」と名言が発せられ、有機栽培における循環再生の理が語られる。  我々は使途の定まらない材として伐採されたメタセコイアの丸太の山を譲り受け、農の立場に見習い藝術の創造性に働きかけることで、これを将来に向け役に立つ藝術の復権に期待した。「“野良の藝術” さぎ山の現場2017」に参加された各々の作家の提案が、かたちに現れていることを願う。社会芸術/ユニット・ウルス 吉田 富久一 【概念】  我々は芸術が何よりも創造性を発揮することで、世の中に役に立つこと(本来芸術が持ち合わせており、近代化により忘れ去られていた「働きかけ」の回復)が次世代へ引き継がれることをもとめる。 創造性は個人に占有されることなく共有されることが望ましく、オリジナルよりもアイデンティティーがより重要である。つまり、でき上がった形よりも行為や過程において相互にスキルを補填し合うことで創造性はより高められると考える。このことから縄文の古より培われてきた文化が、まだ我々のDNAに残されているように思えてくる。したがって、創造性の共有を如何にかたちにつくり出すかが、この度の課題である。 これまでの活動として可動式仮設店舗でのコラボレーション、自力更生車を引いての大道ワークショップ、ゲルを設置しての世界小屋会議といった「もの」から「こと」と「ひと」の結び付けを試みてきた。直近の活動では炭窯を設け、様々な物質の炭化を試み、炭焼きから野焼きでの燻炭や土器焼き、実証考古学的な創作土器を焼きはじめ、実際に使用する。 また、炭火でのアルミ鋳造等も試みてきた。さらにこの先の道標として土壌や菌の働きや農に興味をそそられていたが故に、農事体験のない我々芸術家集団にとっては、見沼ファーム21を中心にした「ふなの保存会」との恊働で、新たな展開に期待が寄せられる。(参考資料:社会芸術Vol.1, Vol.2, Vol.3) 【農とアート】  見沼ファーム21は農事(水稲)を中心に活動し、田植えや稲刈り等に市民参加を促し交流を図る、生活の基本にあるべき姿を農にもとめた社会性の強いNPO団体と認識している。その中でもとりわけ我々に強く訴えかけてきたのは、収穫跡の田圃に稲藁を高く積み作り上げた「ふなの」の復活にあった。注目した理由を4点上げてみた。 先ずは、この作業が①農事の目的の一環であり有用な所作が多分に垣間見られた。その前提として②共有する意志(恊働と分配)が基底にある。さらに、これが③水稲の起源を伝える文化遺産でもある。しかも、④野外における彫刻としての造形性が高く、その実在感に我々は目を見張った。つまり、これらのことが重層しているが故に、「ふなの」にあれだけの労力を費やせるし、そのエネルギーが我々に働きかけ、食い込んでくるのである。これはまぎれもなく農のアートである。農の現場にアートを持ち込むとき、上記4点の働きかけを確かめながらすすめたいと思う。 食の源は農にある。農が大地と水、大気からの恩恵として収穫がもたらされる営為であり、自然への畏敬の念が働いている見沼ファーム21の「ふなの」の復活は稲への尊厳からだろう。恊働する仲間たちがあって、苗を手植えし、稲を手狩りすることで藁が確保され、「ふなの」制作は可能となっている。復活された「ふなの」を保存する動きとも連動し、相乗できよう。我々は「ふなの」に注目することを切っ掛けに、どんど焼き(左義長)や燻炭焼きに、藁、籾殻、粘土の活用、食を考えることにアートワークが関われると判断した。可能な限り作家も農事に参加することで、具体的にアートワークを煮詰めていくことになる。芸術が営みとしての農と重なり合って地球環境の中に活かされることは、活動の先をすすめる上での貴重な体験となろう。 【概要】  本プロジェクトは農にかかわりながら行われ、「ふなの」にからめて現場展を設定した。先ず稲刈りにあわせ燻炭焼きに使用する土器煙突の共同制作(積み上げ式)から始め、乾燥を経て藁を燃料にして焼成する。ここで得られた藁灰(20kg)は、次に行う藁紙漉の材料とて利用。稲藁50kgを使う紙漉工程を経て、柿渋(提供NPOファーム・インさぎ山)を塗布し防水と強度を増す。 祭り当日には、ゲルの壁面を覆い、中では土器火鉢を囲んで環境を考える世界小屋会議を行う。ふなの設置された田圃では、土器煙突20~30本を配置して籾殻燻炭焼きが行われる。煙はエアワーク(気体の彫刻)であり、焼かれた燻炭は土壌の豊饒化に有効な素材である。燻炭焼の熱を使った食のワークショップを行うことで、収穫の分配をはかり、創造性の共有によりその“かたち”を炙り出す。

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​野良の藝術 出版/埼玉新聞
​⬇️過去の出版物/PDFファイルでご覧いただけます
​本HP 英語サイトより
ご覧いただけます
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