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西会津国際芸術村 2016.7.29-31

【ワークショップに於けるユニット・ウルスの成果】

 さて、とんでもなく密度の濃すぎる内容が滞りなくすすめられたのは、みなさんによるユニット・ウルスへの惜しみない協力と一丸となってのチームワークの賜物だと、心より感謝しております。(我々社会芸術では考古造形の森山哲和さんを講師に加え、やまんBの協力を仰いでユニット・ウルスを組み、盛り沢山のメニューを詰め込めるだけ詰めた縄文思考のワークショップのチーム編成した)帰京してから集まってきた写真を見返しながら、サービス精神旺盛な我々のチームと、それに応戦する西会津国際芸術村の皆様には改めて感心させられます。

 加藤学さんには、5月の仙川と同様に一本の竹材から、焼きパンの竹串や粘土沈線用のヘラまで瞬く間につくりあげていただき、ワークショップの始まる前には全て揃えられていました。ここで何が行われるか、どうしたら旨く事が運ばれるかすっかりお見通しであったのでしょう。炭火の面倒はじめ、抜け目なく配慮していただき大助かりでした。

 事前に作成した資料に目を通していただき、濡れ粘土焼成勉強会(7/24)に応じていただけたのは、陶芸に手を染めた経験を持つ

方ほど懐疑的になると思えたからです。濡れ粘土の焼成方法と原理の理解を共有することなしに、このたびの実践にあたることはできません。良き協力者が得られたことに感謝いたします。

 ワークショップ本番で作品が焼けたかを土器火鉢ごとに点検をしてくださったことは、さすがに陶芸の経験者です。焼けていないケースがありました。その理由は明瞭で、湿った灰の中ではいくら外部から熱を加えても100℃以上には上がらないからです。乾燥した灰を十分に用意できなかった我々の不備でした。ともかく滝沢徹也氏のアトリエ見学を挟んで、もう一度焼き直すゆとりができたことは幸いでした。

 衛守和佳子さんの「パンづくり」は、前回の仙川に引き続き今回も大好評でした。焚火の熾き火でのパン焼きから始め、引き続いて土器焼成中の土器火鉢での炭火が利用できたので必然性あり、とても説得力があったのでしょう。参加された方々の表情が嬉々としていました。灰の中でパン生地や様々な芋などの固形食材を焼いて食されたことで、縄文の暮らしの一角が紐解ける体験となりました。きっと縄文人(じょうもんびと)は、炭火の上や脇、灰の中とあらゆる箇所での火加減で収穫物を調理し、食していただろうと想像できます。

 今回は深鉢での煮炊きは行いませんでしたが、以前荻窪のギャラリー内にゲルを建て、長谷川千賀子さんが土器火鉢に炭火を熾して深鉢におでんをつくり、来客に振る舞ったことが思い出せます。おそらく、土器の発明は食材の収集・貯蔵と汁物の煮炊きを可能にし、縄文人の食生活をすこぶる豊かにしたに違いない。

 食のことから、深鉢での湯の沸湯について、森山さんからとても興味深い発言がありました。「鉢の廻りで火を焚くと上部から先に沸湯が始まるが、下方は温度が低い。そこで焼け石を投げ込むと、一挙に全体が沸騰しはじめる」と。

 韓国料理に焼けた鉄塊を鍋に投げ込む料理がありましたね。さらに記憶の奥をまさぐりはじめると、ゴエモン風呂は調理とは異なるが、上層が熱く、かき混ぜてから落とし蓋の上に乗って入浴しました。炭火の上で熱した焙烙でマメや茶葉を煎ること、焼けた小石の中にサツマイモを入れた焼芋も甦ります。陶板焼きなる調理や鉄板焼きビーフステーキなどは今日でもあります。そう言えば、伝統的なパン釜やピザ釜は窯の中を薪か炭で十分に熱した後、火を払ってその余熱で焼く。イタリア仕込みの彫刻家の安部大雅さんが、宇都宮での「自力更生車+α計画」で実演していました。これらの調理法の開発は押し並べて縄文思考で解決しましょう。

 濡れ粘土焼成勉強会当日(7/24)に奥野美香さんが来られなかったので、少々心配でした。ところがこのスキルに、とても初心とは思えない手さばきで次々とこなされていたのには、正直いって驚きでした。事前に送信しておいたテキストを読み理解されていたのでしょうか。すこしでも陶芸に手を染めた経験者ほど、濡れ粘土をいきなり焼く危険に反感を持つだろうと思っていたのは、どうやら小生の老婆心に過ぎなかったようです。考えてみればキャリアあるガラス作家ですから、火の扱いは熟知しているし、想像以上の縄文思考の持ち主なのかもしれなません。それに、宿舎の掃除を丹念にしてくださり、しかも最後に玄関から出ながら仕上げる様は、貴女の作品づくりの緻密さにつながると感心いたしました。

 また、衛守・奥野の両人とも料理の腕前を発揮し、私たちを支えてくれた。こんな贅沢を味合えたのは、ワークショップと言う一つの目的を要に家族に似たかたちが浮かび上がり、縄文が結びつけた縁だと感謝します。

 考古造形研究所の森山哲和さんとは昨年(2015)の12月末に、はじめてお会いしました。吉川信雄さんの紹介で長谷川、吉田の三人でアトリエ訪問させて頂いて、縄文の考察の仕方に共感し、以来たびたび行動を共にしてきました。驚いたことにアトリエ内に縄文家屋の石組み炉が持ち込まれ、茶の湯で来客に振る舞うのだから、学者の域を超えた実践を心がけられている。その炉を前にした森山さんが「利休は縄文を知っていた」と語られました。

 森山さんは、考古実物資料の制作で全国を飛び回り、第一線の考古学者や地質学者と渡り合われてきました。その最たる実績は、神奈川県立地球博物館に結実しています。実はまだ観てはいないのですが、資料から想像する限り、大地から切り剥がされた地層の巨大な断面が吹き抜けの天井から吊り下げられ、大きな一部屋を埋め尽くしています。地質という内容と相まって、とてつもないスケール感が伝わってきます。その一方で縄文は大きさではなく、深さで捉えられているのだと思えます。今日の我々の生活とどのようにつながるかを診ようとされるようです。

 このたびのワークショップがエンブレムの切り口ですすめられた理由について森山さんから、考古学者の安孫子昭二さんの最新著書出版へ向けたテーマであるが、森山さんが校正に協力していた関係を証していただきました。二人三脚から多勢の輪へと拡がりを示すお考えのようで、縄文を語る都度「蕩尽」「ポトラッチ」の言葉が、彼の口から度々吐かれます。その真意は「無償の贈与」にあるらしい。今回も、立体視カメラでの写真の贈与をコミュニケーションツールとして多用され、無償の贈与を実践されていました。

 尚、助手として同伴された川口敦さんは縄文をテーマに漫画家として始動しはじめようとしており、今後の活躍が楽しみな青年です。それにしても、類は友を呼ぶという格言をいいことに、暗雲の中で生き続ける芸術関係者、しかし天真爛漫の気性は縄文ゆかりなのでしょうか。

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