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西会津国際芸術村 2016.7.29-31

【奮闘する滝沢徹也 西会津・紙漉きの館を訪問】

 滝沢徹也氏のアトリエ見学は、最終日の朝立ち寄りそのまま帰京の予定が狂い、ワークショップで焼けなかった土器の再焼成の後始末に手間取り、昼近くなってしまった。彼の案内に従って、町より南方の山麓へと進み、幹線道路から外れ谷津に入ると、そこは閑静な山村にある空家の一つに辿り着きました。

 夏になっても、玄関には雪囲いが残されてあった。鴨居をくぐり抜けて目に飛び込んできたのは、土間を改造して設置された大きな窯と竃。無理すれば人が入浴できそうなほど大きい。竃とと​​もに焚き口部は三尺ほど低く掘り下げられ、薪炊き・煮沸作業の利便性と保温性が考えられた施工らしい。一角には先住者が残した鍋・窯・火鉢・鉄瓶など、沢山の生活用具が山積みにされ、骨董趣味の人に喜ばれそうです。本来、中央の大広間は吹き抜けであったのだが、囲炉裏の生活に変更が加えられ、暖房効果を保つために天井が張られたらしい。

 二階に上がる木製の階段はしっかりしており、ものを持って運ぶにも安定しています。登りきると右手に土壁が見え、壁伝いに一周することができるものの、何処にも入り口は見当たりません。​​吹き抜けの上にできた中空部分を囲ったようです。冬期の寒さに対処されたのでしょうが、もったいないかもしれません。

 彼は今、この中空部分を板張りに改装を企んでいるらしく、何やらその手立てを考えはじめている様子が伺えました。当分、この建物の環境を整えながら、アート活動を進めていくことになりましょう。外壁の方々にキツツキの仕業で丸穴が開き、外光が透けて輝いています。鳥が土壁を狙う理由は知らぬが、壁に穴を開ける行為によって光が差し込み、風通し良くなることは確かです。内外での活動を通せる道理が見えたような気がします。今度はどんな仕業を仕掛けるのでしょうか。滝澤くんの奮闘が楽しみです。

 以前(2012)長谷川と吉田は滝澤くんを誘い、カラムシを求めて西会津国際芸術村を訪ねたことを思い出します。カラムシ織り復活を目指す出口富美子さんと地元の長谷沼朝子さんと交流し、後に滝澤くんにカラムシ紙を漉いていただきました(SOCIAL ART Vol.3)。カラムシは小千谷紡ぎの素材として、主に昭和村を中心に産し、隣接する西会津でも産しましたが、昭和30年代初頭に消えた産業です。

 その後、彼は西会津国際芸術村の地域再生プログラムにより3年契約で入村しています。この冬(1/23)には、西会津国際芸術村と西会津地域づくりカレッジ(五寧陽平代表)のメンバーらと協力して、和紙漉き体験ワークショップの講師を務めるなど、[出ヶ原和紙再生計画プロジェクト]*に携わっています。

 *出ヶ原の集落では会津藩の御用達の和紙を一手に引き受け、紙の生産地として知られたが、昭和30年代に生産は途絶えています。和紙漉きの始まりは、古く伊豆国の人が紙すきを伝えて以来、この地が「伊豆ヶ原」と称されていた時代があるらしい。同地区に住む佐藤昭悦さんが再生始めたことが切っ掛けとなり、西会津国際芸術村により紙職人・芸術家の滝沢徹也の招聘に結ばれたようです。

 また、この間に埼玉伝統工芸会館20周年にあたり、小川和紙資文書の調査及び展示、小川和紙年表の作成と図録制作。現代美術制作として、2014年に青森市ねぶた祭りの大型ねぶた数台に使われた紙を再生に挑む。インドの手漉き紙の調査とあわせ、バラナシ市を流れるガンジス川の中での紙づくり。岩手県東和町の取り壊し建物にあった古文書の再生。2016年6月にはノルウェーで現地制作するなど、ハードな活動を行っています。まさに、旬に入った作家ですね。

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