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西会津国際芸術村 2016.7.29-31

【突起土器の使われ方・火鉢としての考察】

 西会津国際芸術村に展示された町内出土の縄文土器から得られ確信について、私見を述べさせていただきます。これらの土器に対峙したときに覚えた衝撃は、一体何から発するのでしょうか。大きさに圧倒されたのか、それとも破損し抜けた部分が悠久の歴史が暗示されているからなのでしょうか…。

 我々美大出身者がよく口にする造形性、空間性と言った概念は、宇宙の成立ちを的確に捉えて設計しかたちに置く、その能力が発揮された様(こと)を言っています。先ずは、優れた縄文土器を観たときにも、これと同じ原理が見出せます。この優れて揺るがない原理が、人々の精神を凛々しく正し、作品に引きつけられるのだろう。 

 否、それだけではなく、さらにもうひとつ付け加えたい。優れた作品には造形性を引き出す働きかけの必然があるはずです。感じ入るその根幹には機能があるとみています。

 博物館の展示物は研究の対象物の公開であり、完成体であろうと破損した断片であろうと、既に現役時代の役割を終えています。但し、そのものが使われ方の独自性・特異性をもって形づくられているのであれば、その必要たる意志が我々鑑賞者に訴えかけてくるものと思えるのです。

 例えば、展示物(写真)について考えれば、きれいに整えられた鉢の内壁に対して、外側へ大きく張り出した突起により構成されています。これを造形的に解釈すれば、「外界にせり出した突起部がその大きな空間の一部をつかみ込むことで、内側に抱きかかえた空間をそれとのコントラストを強調して存在する」と言う解説になりましょう。しかし、この評では造形的客体化できたとしても、この鉢の主体の何ものも語られていません。問題は何故このようなかたちにつくられたかを見極めねばなりません。突起物の構造をもう少し詳しく診ると、輪づくりのリングを辺で接し、キュービックに繋ぎ合わせた構成から、必然的に中空を生じます。したがって、その物体の外見に対して、外側と内側に、おおよそ二倍の表面積を持つことになります。さらに問題は、何故そうする必要があるのか、です。

 従来の考古学では、火焔土器、焼町土器類の突起土器は「祭事の際に煮炊きに使われた」とされ、博物館のP.O.P.モデルなどでは薪火で土器の廻りを炙っている姿が示されています。もし、本当にそのように使われていたのだとすれば、これらの突起部分に相当な熱負荷が掛かり、このような美しいかたちを今にとどめずに殆ど崩壊してしまったに違いないと思うのですが、如何なものでしょうか。

 かなりしっかりと突起が残されていることは、通説に不可逆的な矛盾を証明しているようなものです。したがって、熱源は外にはなく、土器の内に置かれたと考えた方が妥当と考えられます。土器の中にいっぱいに灰を入れ、その上に炭火を熾し、様々に調理がなされたとすれば、鉢の中で相当な熱を持っても、熱伝導率の低い土器は張り出した突起部分へは熱を伝えにくく、しかもこれらの突起が常に外気に触れ、空冷されます。そこで、外側に張り出した突起部を把っ手として使い、炭火を焚いたまま持ち上げての移動が可能になります。

 このようにつくられた土器には、与えられた機能に本来の使命があり、たとえ断片の造形であってもその意志を持って我々に働き掛けてくると解せます。つまり、この手の突起土器は火鉢として使われたと考えるのが妥当であろうと結論に至ったのです。また、炭火と灰の持つそれぞれの力(はたらき)に火種を絶やさず維持されます。あまねく崇高な祈りを捧げた理由とも言えましょう。

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